「日曜日? なぜですか?」 『なぜって……デートだから』 「意味がわからないので、お断りします」 『あ、ちょっと待って!』 私がそのまま電話を切るとでも思ったのか、電話口で慌てるような声が聞こえてきた。 ……ちょっと、面白い。 相手に見えていないのをいいことに、私はスマホを耳に当てたまま、思わず笑みを浮かべる。 いつも驚かされたりあわてさせられたりしているのは私のほうなのだから、ちょっとはあの人もあわてたりすればいい。「なんでしょう?」 『デートっていうのは言い過ぎた』 でもやっぱり、こうやって意味不明だ。『実は、朝日奈さんにお願いがあってね』 「お願い?」 この人が私にお願いなんてすることがあるの?と、少し違和感を覚える。 だって、いつも有無を言わせず決定するような、わがままな性格だと思っていたから。 人の都合を気にかけるような、そんな普通の人間らしい部分も持ち合わせていたのか…。 どうやら少しは普通の人間であったようだけれど。 それが意外すぎて、今私が喋っているのは本当に本人かと疑いたくなってしまう。『僕の知り合いのデザイナーがパーティを開くんだ。事務所の十五周年記念パーティ。僕も招待されたんだけど、朝日奈さんに一緒に行ってほしいと思って』 「わ、私がですか?!」 な、なぜに私が。 だって私、関係なくないですか? 「いや……おひとりで行かれては?」 『招待券がね、二枚届いてるんだよ。なのに一人で行くのもどうかなって感じでしょ。それにこういうときは女性同伴でどうぞって意味じゃない? 男を誘って行ったりしたらがゲイじゃないかって邪推されちゃう』 とうとうと電話口で喋ったかと思うと、最後はそう言って笑い声を漏らす。 あなたがゲイに間違われようと知ったことではありません。 逆にあたふたしてるあなたを、見てみたいくらいですけども。 「別にもう……いいじゃないですか、ゲイデビューしても」 『バカなこと言わないでよ!!』 そういう業界にはゲイも多いらしいけれど。 彼はどうやら微塵も誤解されたくないらしい。「だったらほかの人を誘ってください。そちらの事務所のスタッフの方とか」 いつもデザイン事務所に赴くと、電話番を兼ねたような事務の女性もいるし。 たとえ事務所にいなくとも、ほかのスタ
『朝日奈さんにとってもさ、ほかのデザイナーと面識ができるんだから、損はないんじゃない?』 それは……そうだ。 それに、行けばいろいろとデザインのことに関して勉強になることもあるかもしれない。 私はデザイナーではないけれど、知識として蓄積できれば今後きっと仕事の役に立つ。「そのデザイナーさんって、どなたですか?」 『香西健太郎(こうざい けんたろう)だよ。知ってる?』 「知ってます!」 名前を聞けば、テレビにも出たことがある結構な有名人だ。 彼がデザインしたティーカップを私だって買った覚えがある。 ミーハーかもしれないけれど、ちょっと実物を拝見したい気持ちが湧いた。 『お、食いついたね。じゃ、決定。朝日奈さん、間違っても今度はスーツなんかで来ないでよ?』 「えぇ?! スーツじゃ、ダメなんですか?」 もしも行くとなったら… スーツで行く気満々だったのに、先にそう言われてしまった。 なにも言わなかったら私がスーツで行くと見越して、宮田さんは釘を刺したんだろう。 スーツと言っても、もちろんビジネス用じゃなくて、ワンピーススーツで行こうと考えていた。 私が持っているのは色はグレーだけれど、ビジネス用とは比にならないくらい女性らしく見えるはずなのに。やっぱりダメなのか。『ダメダメ。だって、香西健太郎のパーティだよ? 場所だって、でっかいホテルでやるんだし』 「で、でも私、スーツ以外にパーティに着ていくような、ドレスみたいな服は持っていないです」 『心配いらないよ』 だったら行くのは無理ですね、と言おうとしたところで、宮田さんが先にそう言った。 心配いらないって、どういう意味なんだろう?『ドレスなら、僕のところにたくさんあるから』 「え?」 『僕を誰だと思ってるの?』 誰って……気まぐれイタズラわがままっ子でしょ。 いや、それもあるけど本来は……『一応、僕もデザイナーなんだけどな』 そうだ。この人は普段ふざけているけれど、デザイナー・最上梨子だった!『明日、事務所においでよ。待ってるからね』
次の日。 私は呼び出されるままに、午後から最上梨子デザイン事務所を訪れた。 パーティの件も気になるけれど、ブライダルドレスのデザインの進捗状況のほうも気になる。 ……うちの仕事、ちゃんとやってくれているのだろうか。「お疲れ様です」 「朝日奈さん、こっちこっち!」 私がペコリと頭を下げるも、挨拶すら割愛するわがままっ子様。 なぜか今日もテンションが高そうな笑顔で手招きしている。 ダメだ。早くも向こうのペースに飲み込まれそう。「こっちだってば! 早く!」 「み、宮田さん! ちょっと待ってください!」 なかなか歩を進めようとしない私に業を煮やし、宮田さんが私の左手を掴んで強引に引っ張っていく。 たまたま事務所内にほかの人はいなかったけれど、 強引に引きずられて歩く私は他人からみたらどんなに滑稽だろうか。 どうしてこんなに焦って歩くのかわからない。 だいたい、身長差があるから歩幅だって違うのだ。 そこのところを、わかっていただきたい。 というか、ちょっと待ってと言っているのに無視ですか?! ずるずる、どたどた、という擬音がピッタリの引きずられようで歩くと、すぐにいつものアトリエ部屋が見えてきた。 なんだ、いつもの部屋じゃない。 そう思っていたのに、宮田さんはアトリエ部屋ではなく右隣の部屋の前で立ち止まって、ポケットから鍵を取り出してガチャリと錠を開ける。 そこはもちろん、私は入ったことがない部屋だ。 しかもしっかりと施錠してあったということは、普段はほかのスタッフも立ち入りを禁止されているのだろう。 「どうぞ」 扉を開け、電気をつけて中へ入っていく宮田さんに続いて、私もその部屋へ足を踏み入れる。 「うわぁ、すごい!」 部屋に一歩入った瞬間、驚きと感動で感嘆の声しかあげられなかった。 だってそこにはドレスやトップスやスカートや……目を見張るような衣装の数々がたくさん揃っていて。 ――― 最上梨子の世界、そのものが詰まっていた。 普段の喋り方やわがままぶりを見ていると、この人は本当に最上梨子なのかな?と、疑ってしまいそうになる時があったけれど。 紛れもなく、本物だった。 これはすべて、彼が一から生み出したもの。 最上梨子らしいデザインに、繊細な色使い。 どれもじっと見入ってしま
「好きなの、着てみていいよ」 手垢をつけてしまったらどうしようと、触ることすら臆するのに。 私が着るなんて、おこがましすぎる。「どれも……綺麗ですね」 最上梨子が作るものは、とにかく綺麗で美しい。 デザインを司っている全体的なラインも、バランスが絶妙だし… 特に、流れるような曲線と、それを活かす色使いと装飾。 ――― まさに芸術作品。「あのあたりに置いてるのは、全部ドレスだから。って……ただ見てないで、手に取ってみればいいのに」 そっと手を引かれて、ドレスがたくさん掛けられているコーナーへ連れて行かれる。 宮田さんが適当にドレスを選んで、勝手に私の顔の前に当ててみたりして。「ちょ、ちょっと待ってください。まさか、私がパーティに着ていくドレスをこの中から選ぼうとしてますか?」 「うん、もちろん。僕のところにはドレスがたくさんあるって言ったでしょ。なにか不服かな?」 「いや、不服っていうか……」 ここにある服はすべて、すごく貴重なものばかりなんじゃないのかな。 だから私がすんなりと袖を通していいものじゃない。「私にはもったいないですよ。一点ものとかあるんじゃないんですか?」 この世に一着しかないような、貴重なドレスもきっとあるのだと思う。 だってこんなにたくさんの最上梨子作品が並んでいるのだから。 そうだとしたら、私がそんな芸術作品を汚すような真似はできない。「一点もの? たしかにあるな。試作まで作ったはいいけど、ボツになったやつとかね。なんとなく……そういうのも処分できなくて、全部ここに置いてるんだ」 ほら。やっぱりそう。 そんなものに、私ごときが袖を通すなんて……。「でもさ、全然もったいなくないよ。朝日奈さんがパーティで着てくれるなら、逆にドレスも嬉しいんじゃないかな」 だって、やっと陽の目が当たるんだよ?って、宮田さんが綺麗な顔してうれしそうに笑う。 そういうものなのかな。 作られたはいいけど、お披露目されずにずっとこの部屋にしまわれているドレスなんかは、たしかにかわいそうだ。「いや、でも……どれも小さくて、私には入らないんじゃないかと」 もうひとつ別の意味で問題がある。 私の身長は女子の平均くらいだ。だけど体重は……間違ってもモデルみたいに細くない。
「スリーサイズは?」 「…は?」 一瞬ポカンとした私をよそに、目の前の男がニヤリと微笑む。 そう、いつものニコニコ笑顔じゃなくて、確信めいた“ニヤリ”とした顔だ。 今絶対、私が嫌がることをわざと聞いているに違いない。「言いたくない?」 「自慢できるようなサイズじゃありませんので」 本来なら、自分の着るドレスを探してくれているのだから身体のサイズを尋ねられたら答えるのは当然だけれど。 ナイスバディではないし、恥ずかしくてそんなの言えるわけがない。 そんなふうに考えていたらちょっとかわいげのない言い方になってしまった。「じっとしててよ?」 すると宮田さんは真面目な顔をして、私の正面から両肩をガッシリと掴んだ。 なにをされるのだろうと身構えていると、彼の視線が私の肩から胸元へ自然と下りていく。 どこを見てるんですか!と、抗議の声をあげようとしたとき、両肩を掴んでいた彼の手が私の両腕をするりと通過して、今度はウエストを瞬時に捕らえた。「ひゃっ!…」 その行動に驚いて、思わず悲鳴めいた声をあげる。 なにをするのかと咄嗟に顔を上げると、彼は綺麗な顔で微笑んでいた。 最近、この人はやっぱりイケメンの類なのだと、あらためて気づき始めてしまった。 今の笑顔だって、すごくやさしさを帯びている。 ウエストに触れられている大きな手は、ゴツゴツと骨ばっているし、否応なしに男らしさを感じてしまって……。 そんなことを意識してるがゆえに、胸が高鳴って仕方ない。 この心臓の音が彼に聞こえないように祈ろう。 「ごめんね。勝手にサイズ測っちゃった」 私の意識が集中していたウエストに置かれた手は、その言葉と同時に自然と離れていく。 恥ずかしくて、何気なくそっと視線を逸らせて俯いた。 たぶん今、確実に顔が赤いと思う。 というか、肩や腰を触っただけでこの人はサイズがわかってしまうのだからすごい。「スタイル、いいんだね」 「……」 いつも超絶スタイルのモデルさんを見たりしているくせに。 そういうのを世の中では“お世辞”と言うのだと教えてあげたい。「ちょうどいいのがあるよ。朝日奈さんにピッタリだと思うんだけど」 そう言って宮田さんはどこからかドレスを一着持って来て、私の目の前に差し出した。「うわぁ、素敵ですねー!」
綺麗なドレスを私なんかが試着してしまうことへの罪悪感と、気恥ずかしさ…… だけど一方で、滅多に着ないドレスを試着できることへのうれしさ。 いろんな感情がめまぐるしくグルグルと胸の中で渦を巻く。 というか、サイズ、小さくて入らなかったらどうしよう。公開処刑だ。 そう思いながら、渡されたドレスを近くの鏡に向かって胸の前に当ててみた。 やっぱり綺麗だ。見ているだけで、自然と笑顔になってしまうくらい素敵。 あの人がこのドレスのデザインをしたのだと思うと、すごく不思議な感じがする反面、尊敬してしまう。 そして私の心配をよそに、宮田さんの計測がバッチリだったのか、そのドレスはなんとか私の体型でも入った。「あのぅ……どうでしょう?」 おそるおそる、ドレスを身に纏った状態で元居た場所へ戻ってみるけれど。 宮田さんの反応が怖い。まるで合否判定を受けるような気分だ。 『思った感じと違うね、ダメだ。似合わない。』 そう言われる覚悟も決めておかないとショックを受けそうだと思い、緊張しながらも身構えた。「やっぱり。……似合うと思った」 遠目に私を見つけた彼が、腕組みをしながらしばし固まった後、満面の笑みを見せる。「あのぅ、裾……短くないですか? 自分の脚がすっごく気になります」 そのドレスは上半身がノースリーブ、スカートはAラインの形になっている。 胸の下の切り替えと肩の部分の生地が同じで、薔薇をモチーフにした装飾が付いている。 色は上品な赤だ。だけど強調しすぎないように、上から黒の薄いオーガンジーのようなシースルー生地で覆われている。 黒いベールを被って透けて見える赤が、なんとも言えず綺麗だ。 だけど、私にはスカート丈が短すぎるような気がする。 普段私があまり短いスカートを履かないから、慣れないだけかもしれないけれど。「大丈夫だよ。全然短くないって。それに綺麗な脚をしてるんだから出そうよ!」 いやいや、出そうって簡単に言われても。 こんな大根脚、出しちゃっていいんだろうか。 気にしながらもぞもぞと動く私を見て、宮田さんがやさしい笑みを浮かべる。 遠目から見ていた宮田さんが私に近づいてきて、おもむろに私の胸元になにかを当てた。「うん、これだな」 そう言って差し出されたのは、ダイヤがたくさん散りばめられた
急にくるりと身体を反転させられたと思えば、後ろから宮田さんの長い腕が伸びてきた。 煌びやかなネックレスが、鎖骨あたりにひんやりと当たる。 チェーンの部分にまでところどころダイヤがあしらわれていて、螺旋のデザインにしてあるため、すごく全体的に重厚感がある。 中央の胸元部分はさらに豪華に二連にしてあり、まるでお姫様がつけるネックレスみたいだ。 金具を首の後ろで留めてくれた宮田さんが、再び私の身体を反転させて正面から見つめた。「朝日奈さんの肌に、よく合ってるね」 私に合ってるかどうかは自分ではわからないけれど。 傍にあった鏡を見ると、ドレスとネックレスが見事にマッチしていた。 ドレスだけだと胸元が寂しい感じだったが、このネックレスをつけると相乗効果でどちらも輝きが増した気がするから不思議だ。 やっぱりこのセンス ――― 最上梨子は天才だな、なんて思うと、自然と頬が綻んで笑顔になった。「気に入ったなら、そのネックレス、あげるよ」 「え?! こんな高いものは貰えません」 なにを仰ってるんですか。 プラチナとダイヤで出来ているネックレスを、そんなに簡単にもらえないです。 しかもダイヤ、いくつ付いてると思ってるんですか!「それ、ダイヤが全部小粒だから、そんなに高くないよ」 「いや、でもダメです。絶対もらえません!」 私がそう言うと、宮田さんは残念そうに肩を落とした。「もしかして気に入らなかった? だとしたら、それも僕がデザインしたからちょっとショックだな」 「えぇ?! これもですか?」 着けているネックレスにそっと触れ、驚きながら鏡に映るそれを凝視する。「そう。遊びで作ったものだけど」 「遊び?」 「うん。昔、ジュエリーのデザインもしてみないかって話があったとき、試しに作ってみたんだ」 あらためて……この人はすごいんだと認識した。 今まで、わけのわからないことを言われたからといって、足蹴にしたりしてごめんなさいと心の中で懺悔する。 彼は今、『遊びで作った』って言った。だから全然本気を出していないってことだ。「オファーされたものとはイメージが違ったんだけど、僕はこのデザインが気に入ってね。実物を1つでいいから作っときたかったんだ」 たしかにこれは、デザイン画のまま埋もれさせてしまうのは、もったいない気
「どういう意味ですか?」 「だって……このドレスもネックレスも、朝日奈さんしか着ないし付けない。ほかの人間は誰であっても、これを身につけるのは僕が許さないから」 もう恒例のごとく、やっぱり会話はかみ合わない。 なんと言葉を返していいものかと、一瞬間があいた。「だから預かっといてあげる。ここに置いといて、朝日奈さんの気が向いたときに着ればいいから」 そう言われても、私みたいな一般人がドレスを着る機会なんて滅多にない。 そんな考えが頭に浮かんだものの実際に言葉にするのはやめておいた。 さすがにそこまで言うと、かわいげがない気がして。「バッグはこれかな。あ、それは僕のデザインじゃないけど」 宮田さんが今度はバッグをおもむろに選んで、ポンと私に手渡す。 ラインストーンのついた、アイボリーのクラッチバッグだ。「足は何センチ?」 「二十三センチ……です」 「あー、さすがに靴はサイズが合わないな」 しゃがんで靴の置いてある棚を物色しながら、残念そうに宮田さんがつぶやいた。 棚の靴はディスプレイ用なのか、全部新品みたいだ。 なんでもいいのなら、二十三センチの靴はありそうだけれど。 このドレスに合うもので、と彼が見当をつけた靴は、どうやらサイズが違っていたようだ。「靴は用意しておくよ」 用意しておくって……「どこかで購入するんですか?」 「うん」 「それなら私が買いに行きますから」 「それはダメだよ。僕が選ぶ」 そう即答された上、絶対にそれは譲らないという決意のようなものが伝わってきた。 たしかに、宮田さん……いや、最上梨子に選んでもらったほうがドレスにピッタリの靴を探し出してくれると思う。「じゃあ、後で代金を請求してください」 「朝日奈さんに? それもダメ。心配しなくても友達の店に頼むから、普通より割り引いてもらえるし」 いくら友達のお店で買うと言っても、代金は少なからず発生するのだ。 さすがにそこまでしてもらうのは、申し訳がなさすぎる。 ドレスやネックレスやバッグを貸してもらうだけで十分感謝しているのに、さらに私のために靴を買うだなんてとんでもない。「ダメですよ。それはさすがに悪いですから!」 手をブンブンと横に振りながら、慌ててそれを止めようとした。「好きな女の子に靴をプレゼントするだけ。な
「宮田さんにとって、私ってなんですか?」 「え?」 「どういうポジションにいます?」 泣いても喚いても、執拗に詮索しても。 あなたにとって私がなんでもない存在ならば…… 嫉妬したって、それは滑稽でしかない。「一度抱いただけの、仕事絡みの女ですか?」 「違う!!」 弱々しい私の言葉を、彼の大きな声が否定する。「僕は恋人だと思ってるし、緋雪以外の女性に興味はない」 信じないの? と彼が切なそうな表情をする。「こんなに緋雪のことが好きで、思いきり態度にも出してると思うんだけど。僕は自分で言うのもなんだけど一途だし。なのにそこを疑われるなんて……」 不貞腐れたように口を尖らせる彼に、そっと唇を寄せる。 そう言ってくれたことが嬉しくて、気がつくと衝動的に自分からふわりとキスをしていた。 唇を離すと、驚いた顔の彼と目が合う。「良かった。本当に枕営業しちゃったのかと思いました」 「……は?」 それは、パーティの席でハンナさんに言われたことだ。 なぜか今、それを思い出して口にしてしまった。 自分でもどうしてわざわざそれを持ち出したのかと思うとおかしくて、笑いがこみ上げてくる。「あのパーティの夜、宮田さんは……午前〇時を過ぎても魔法は解けないって言ってくれましたけど。朝になったら解けちゃったのかなと……なんとなく思っていたんです」 「どうして? 僕は解けない恋の魔法を緋雪にかけたつもりなんだけどな。あ、いや、ちょっと待って。それじゃやっぱり、僕は魔法使いってことになるじゃん!」 真剣な顔をしてそう抗議する彼に、噴き出して笑う。「不安だったのは、僕のほうだよ」 「……?」 「あの夜は気持ちが通じたと思ったし、心も身体も愛し合えたと思った。だけど、もしも無かったことにされたら……って考えたら、不安だった」 「……そんな」 「僕はやっぱり魔法使いで、王子は岳なのかも…って」 ――― 知らなかった。 宮田さんがこんなふうに思っていたなんて。 二階堂さんと私のことを、こんなにも気にしていたなんて。「宮田さんは王子様兼魔法使いなんですよ」 「……何その“兼”って、一人二役的な感じは」 「それとも私たちは、シンデレラとはストーリーが違うのかも。ていうか、一人二役でなにか問題あります?」 「……ないけど」 気まぐ
手を引かれ、十二階に位置する彼の居住空間へと初めて足を踏み入れる。「お、お邪魔します。お家、ずいぶん広いですね」 おずおずと上がりこんだ部屋には大きめのリビングとダイニングキッチンがあり、話を聞くとどうやら2LDKの間取りのようだ。 まるでモデルルームのように家具やカーテンの色や風合いがマッチしていてパーフェクトな空間だった。 この前麗子さんと話していて、宮田さんはどんなところに住んでいるんだろうと、気になってはいたけれど。 それがこんなに広くてスタイリッシュな空間だったとは思いもしなかった。「ここのマンションの住人には、ルームシェアしてる人もいるみたい。僕はもちろんひとりだけど」 なるほど。ルームシェアもこの広さなら出来ると思う。 なのに贅沢にこの部屋で一人暮らしだなんて……。「緋雪、気に入ったならここに越して来る?」 「え?! 私とルームシェアですか?」 「なにをバカなこと言ってんの! 僕たちが一緒に住む場合は、“同棲”になるだろ」 肩を揺らしてケラケラと笑う彼を見て、拍子抜けしたと同時に私の緊張もほぐれた。 私がはっきりと返事をしないまま、その提案が立ち消えになったことにもホッとする。「いつも事務所じゃコーヒーだけど、今日はビールがいい?」 ソファーに座る私に、彼はそう言ってキッチンからグラスと冷えた缶ビールを持ってきた。「ありがとうございます」 「パーティのとき思ったけど、緋雪はお酒飲めるよね?」 「あ、はい。それなりには」 コツンとお互いにグラスを合わせ、注がれたビールを口に含む。 ゴクゴクと美味しそうにビールを飲み込む彼の喉仏が、やけに色っぽい。 隣に居ながらそれを見てしまうと、自動的に心拍数が上がった。「今日のことだけど。僕が、モデルの子と一緒にいた件……」 ふと会話が止まったところでその話題を口にされ、私から少し笑みが引っ込んだ。「あの子はハンナの後輩なんだけど、けっこう気の強い子でね。ハンナのこともライバル心からかすごく嫌っていて。僕は今日、巻き込まれたっていうか……あの子が、」 「もういいです」 「……え?」 「もう、それ以上聞かないでおきます」 ハンナさんへの当て付けなのか、本気なのかはわからないけれど、あの女性が宮田さんに迫ったんだろうとなんとなく直感した。「言わせて
*** 会社に戻る途中、ずっとモヤモヤした気持ちが抜けなかった。 なんだこれ。こんなんじゃ仕事にならない、とエレベーターの中でそんな自分に気づき、両頬をパンパンっと叩いて喝を入れる。 そうやって気合を入れたのに集中力は続かず、終わったときには時計は十九時半を回っていた。 そうだ、電話しなきゃ……。 ロッカールームで思い出し、宮田さんの番号を表示させて発信する。 今日のことを弁解させてほしいと言っていた彼の困惑した顔が脳裏に浮かんだ。 私だって…… あのモデルの女性と、あんなところでなにをしていたの?と、気にならなくはないけれど。 正直に聞くのが怖い。『もしもし』 数回目のコールで、落ち着いたトーンの彼の声が耳に届いた。「お疲れ様です。今、仕事が終わりました」 『お疲れ様。もう会社の前にいるから降りてきてよ』 「え……はい」 そのまま通話を切り、私はあわててロッカールームを後にした。 遅く感じるエレベーターに乗り込み、会社の外に飛び出すと、一台の車がハザードをつけて停まっていることに気づく。 助手席側のドアを背にして立つ宮田さんの姿があった。 ポケットに手を入れて佇む姿が、車を背景にしているせいか、とても様になっている。 そんなことよりも。たしかに会社に迎えに来るとは言っていたけれど……「い、いったいいつから居たんですか?!」 「はは。息が切れてるね」 それは、エレベーターを降りたあとダッシュで走って来たからです。「私のことはいいんです!」 「えーっと……着いたのは1時間くらい前、かな」 「そんな時間からここに居たんですか?!」 「うん。終わったら電話くれる約束だったし。 だからここで待ってた。とりあえず車に乗って?」 そう言って、彼が背にしていた助手席のドアを開ける。 ずいぶんと待たせたのに、不機嫌じゃないんだ……。 などと思いながら、私は促されるまま助手席に乗り込むとドアを閉められた。 宮田さんはハンドルを握り、喧騒が未だ落ち着きを取り戻さない夜の街を走り抜ける。「あの……どこ行くんですか?」 なぜか運転中無言になっている彼の横顔を見つめつつ、静かに問う。「あー、そう言えばそうだ。どこに行こうか」 「え……」 そっか。そうだった。 この人はこういう人だ。中身は変人と
最後はにっこりとした笑顔を作れた。 昔憧れていた二階堂さんに、こうして今の気持ちが言えて、それでもう十分だ。「なんか事態がよく飲み込めないんだけど……。今のって俺……軽く告白されたのに、結局フラれたって感じ」 ポカンとした顔で、二階堂さんがそんなことを言うものだから笑いそうになってしまう。「人の出逢いにはタイミングもあるんだよね。昴樹くんとは運命の出逢いだと思うから、大切にして?」 あの頃……八年前に見たのと同じ爽やかな笑顔がそこにあった。 大きな手を差し出され、握手を求められる。「本当はギュッとハグをしたいところだけど。昴樹くんに怒られるから」 じゃあね、と私の手を放して颯爽と立ち去る二階堂さんを、あの頃と同じようにやっぱりカッコいいと思いながら見送った。 残された私と宮田さんに、しばし沈黙が流れる。 この空気は、気まずさ以外の何物でもない。「あれで……良かったの?」 二階堂さんがいなくなった後、彼の口からボソリと言葉がこぼれ落ちた。「良いですよ。というか、私にあれ以上なにを言わせたいんですか」 これ以上こうして会話しても、喧嘩にしかならない気がして。 この場を立ち去ろうと歩き出した私の腕を、宮田さんがグッと掴んで自分の胸に引き寄せた。 私を抱きしめる彼の腕に力がこもる。「今日は緋雪に会えると思って楽しみだったのに……サイアク」 少し身体を離して私を見下ろす彼の瞳に、私が写る。 最悪なのはこちらも同じだ。 なにか言わなければ、と思った矢先、彼は私の唇を貪るように奪った。 しばらくキスを繰り返し、最後にチュっとリップ音を立てて彼が私からそっと離れる。「もう……行かなきゃ……」 そうだ。彼は今、仕事中だ。先ほどの場所に戻らなくてはいけない。「がんばってください。私も仕事に戻ります」 今の私からは、そんなそっけない言葉しか出てこない。 かわいくない女だと自分でも思う。「終わったら緋雪の会社まで迎えに行くよ」 「え?」 「今日、車で来てるから」 頬を撫でられ、見つめられるとなにも言えなくなってしまいそうだけれど……「でも、私も何時に終わるかわからないですし……」 「何時になっても待つから。今日のこと、いろいろ弁解させてよ」 じゃあ、終わったら電話をちょうだいなんてセリフを残し、愛しい人
「緋雪のスベスベな肌は、僕のものだから」 「へぇ……昴樹くんはもうすでに知ってるんだ? 肌がスベスベだとか、ふたりは互いに知る仲なんだね。パーティで会ったときはまだみたいだったのに」 「知ってる。緋雪は全身綺麗な肌なんだよ」 目の前で繰り広げられるふたりの会話が、なんだか生々しく聞こえて恥ずかしくなる。 私はうつむいて自分の顔が赤いのを誤魔化した。「僕の恋人にちょっかいを出すな。いくら岳でも、それだけは絶対許さないから」 宮田さんの言った“恋人”という言葉に、心が震えた。 彼はきちんとその認識でいてくれていたのだ。 私のことを、恋人だと ――――「昴樹くん、ごめん。朝日奈さんもごめんね。やり過ぎたかな?」 二階堂さんは両手を合わせながら、バツ悪そうにペコリと頭を下げる。「あれは……妬かせるためにわざとやったから。でもね、さっきのは昴樹くんも悪いよ? 恋人の朝日奈さんを放ってモデルの子とあんなとこでコソコソと」 「いや、あれは……」 「こんなに猛烈に妬くほど好きなんだったら、彼女のこと、泣かすようなことしちゃダメだろ」 ………二階堂さん。「心配しなくても、俺は明日アメリカに帰るから」 ふたりとも仲良くね、と告げつつ二階堂さんは私たちに背を向けて立ち去ろうとする。 そんな彼に、ちょっと待ってと宮田さんが声をかけて引きとめた。「緋雪……本当に言わなくていい? 岳に伝えたいなら今しかないよ?」 引き止められた二階堂さんは、なにを?といった表情で私たちを見つめていたけれど。 私には宮田さんがなにについて言っているのかすぐにわかった。 彼に、八年前の想いを伝えるなら、チャンスは今しかないと言いたいのだろう。 無言で宮田さんを見つめると、彼の漆黒の瞳の奥に、切なさが混じっていた。「二階堂さん、私……」 宮田さんに促されるままに紡ぎ始めた言葉は、そこで一旦途切れた。 彼に対してなにを伝えたいのかと、心の中であらためて自問する。 そして、出た答えが……。「八年前に、あなたを街で見ました」 「……え……?」 「モデルの二階堂さんをチャペルで見かけたのがきっかけで、あなたに憧れて私はブライダル業界に就職しました。仕事はそれなりに大変ですがとても楽しいです。そして……二階堂さんに八年ぶりにまた逢えて、懐かしかった
突然のその行動に私の心臓が跳ね上がったのを無視するように、二階堂さんは繋がれた私の両方の手を意味ありげに器用に触る。 彼にとっては、そんなことはなんでもないことなのだろう。 飄々とした表情だ。ただ、色気は漏れているけれど。「えーっと……どうしようかな。さすがにキスまでするとマジで昴樹くんにグーで殴られる気がするしねー」 「え?!」 チラチラと、私の後ろの方角……つまり宮田さんを気にしながら口にした彼のその言葉に驚いて目を丸くした。「抱きついちゃおうか。でも……それじゃ弱いかな。あ、ほっぺにキスがいいか」 本当になにを言ってるんだろうと距離が近い彼の顔を見上げると、ニタっとイタズラな笑みを浮かべている。 いったい……なにを企んでるんですか。「ちょっとだけ我慢してね」 色気を含んだ声色で耳元に唇を寄せてそう囁かれると、一瞬で全身が硬直した。 二階堂さんは間違いなくイケメンだし、しかも私が八年前に一目見ただけで憧れた人だ。緊張するのは当たり前。 自分自身にそう言い訳する暇もなく、右の頬に二階堂さんの唇の感触がした。 そのまましばし、時が止まる。 いきなりなにをするのかと声にも出せずに驚いていると、「作戦成功」と、やっと唇を離した二階堂さんにしたり顔で微笑まれた。「ふたりとも、ちょっと来て」 後ろからそう声がしたと思ったら、宮田さんが私と二階堂さんの繋がれた手を引き離し、私の手首を掴んだまま外の廊下へとずんずん歩いていく。 先ほど二階堂さんが私にした行為をしっかりと見ていたのだ。 だからこんなに彼の顔が険しいのだと、想像がついた。 二階堂さんが宮田さんをこっちに来させればいいと言った意味はこれだったんだ。 だからってなにも怒らせなくても……と思ってしまう。 宮田さんは私の手を強引に引いて、自販機のある小さな休憩スペースに誰もいないことがわかると、そこで歩みを止めた。「岳、さっきのはなに?」 今まで聞いたことのないようなイライラとした彼の声に、一瞬ビクっと肩が跳ねた。 素直に私の後ろに続いて歩いてきた二階堂さんを振り返ると、まだイタズラな笑みを浮かべている。「さっきの? うーん……朝日奈さんの手がさぁ、握ってみるとやわらかくて。サラサラでスベスベの綺麗な肌してるんだよね。だからつい頬につい……」
「そう? 昴樹くんが好きなのは朝日奈さんなのに。そんなの、誰が見たってわかるよ」 「……」 「昴樹くんさ、あのパーティでも必死だったじゃん」 そうか……考えてみたらあのパーティには、二階堂さんもいたんだ。 私の醜態をこの人にも見られてたのかと思うと、途端に恥ずかしくてたまらなくなった。「パーティでは……すみませんでした。恥ずかしいので、できればもうその件は触れないでください」 「あはは。朝日奈さんってかわいいね。昴樹くんが惚れるのもわかる気がする」 私がおどおどしたのがおかしかったのか、二階堂さんは途端に愉快そうに笑った。「あ。俺と今……目が合ったよ」 私同様、二階堂さんも宮田さんと目が合ったらしい。 だけど私はもう、後ろを振り返れない。「大丈夫。呼んでくるから待ってて」 「いえ! 本当に結構ですから!」 私の横をすり抜けて行ってしまいそうな二階堂さんの腕を必死に掴んで、それを引き止める。「どうして?」 二階堂さんは心配そうに私の顔を覗き込むと、ポツリとそう尋ねた。 ――― どうしてって…… あのモデルの女性から、彼を無理やり引き剥がして自分の元へやって来させるのも気が引ける。 私はそれでなにがしたいっていうのか。 私の恋人とイチャつかないで!と、彼女を睨みつけるの? それとも、私だけを見てと彼にすがるように纏わりつく? そんなのどっちも私らしくないし、両方やりたいとは思わない。「私ともさっき目が合ってるんです。でもすぐに気づかないフリをされました」 「へ?」 「私も特に用事があるわけではありませんので、このまま失礼します」 泣きそうな声でなんとかそう訴えてるのに、二階堂さんは再び私の腕を掴んで離そうとしてくれない。「悪いほうに考える気持ちもわかるけどさ。俺は……パーティでの昴樹くんが本物だと思うよ?」 「……ありがとうございます」 私を気遣うやさしい二階堂さんの言葉を耳にすると、余計に泣きそうになる。 だけど、こんなところで泣いちゃいけないと必死に涙をこらえた。「そうだ! 俺が呼びに行くのが嫌なら……昴樹くんのほうからこっちに来させればいい」 「え?」 「賭けてもいいよ。絶対昴樹くんは飛んで来るから」 なにを言ってるのだろうと首をかしげていると、二階堂さんは私の両手を取って身体を
きっと仕事の話をしているんだ。 なにも私がこんなことでヤキモキする必要なんてない。 そうは思うけれど、胸の奥がキリキリと痛み始める。 嫌な予感がして仕方がない。 だって仕事の話ならば、あんな薄暗いところでふたりで話す必要なんてない。 一方で、そう冷静に分析してしまう自分もいるから。 宮田さんがなにか言葉を発したと思ったら、女性の肩に右手を置いて距離を詰めた。 これ以上見てはいけないと思うのに、そこから足が動かない。 そうしてじっと見入るうちに、宮田さんが視線を何気なくこちらに向けて…… 私と、――― 目が合った。 彼はすぐに私に駆け寄って来てくれる。 そう思っていた私は、自惚れていたのだろうか。 彼は再び、なにも見なかったかのように、視線を女性に向けなおした。 その瞬間、私は踵を返してくるりと彼に背を向ける。 今のはなにか幻でも見たのだと、そう思いたかった。 だけど自分の目で確認したのだから、それが疑いようのない現実だし……。 ごちゃごちゃと整理のつかない感情が、私の心をかき乱して爆発寸前だ。 早くここから立ち去ろう。落ち着け! 人の波をよけるように歩いていたつもりだったのに、数メートル歩いたところで、目の前に人が立ちふさがって私の歩みを止めた。「あ、すみません。通してください」 その人の顔も見ずに、俯いたままそう呟く。「あれ……たしか、朝日奈さん……だよね?」 自分の名を呼ばれたことに驚いて顔を上げると、私の目の前に居た人は………二階堂さんだった。「昴樹くんに会うなら方向が逆だよ。あっちあっち」 爽やかな笑顔で私の背中の方角を指さす彼に、私は苦笑いすら返せない。「いえ……いいんです」 「ん? どうして? ……なんでそんな泣きそうな顔なのかな?」 二階堂さんにそう言われ、初めて自分が今泣きそうになってることに気がついた。 私はどうしてこんなことくらいで……。 泣きそうになるなんて、子どもじゃあるまいし。「あー……原因は、アレか」 どうやら二階堂さんも、宮田さんの姿を見つけたらしい。 心底困ったような笑顔を私に向ける。「あのモデルの子、まだ若いね」 若くて美人。このステージ裏のエリアにいるモデルの女性は、そんな容姿端麗な人ばかりだ。 だけどそんなことでさえ、
「彼女、今日もどこかにいるから。気をつけてね」 「はい。お気遣いありがとうございます。でも私、まだ仕事の途中ですのでこれで失礼します」 「え? ショーは見て行ってくれないの?」 「すみません。すごく残念なんですけど」 「でも、彼には会っていくでしょ?」 その問いかけには、「少しだけ」と、照れながらゆっくりと頷いた。「今日は彼には助けてもらって感謝してるよ。モデルのそばでアシスタントをしてもらってるんだ」 「そうなんですか」 「考えてみたら贅沢だよね。彼にアシスタントをやらせるなんて。だって彼……最上梨子だよ?」 そんなことをポロリとこぼす香西さんをよそに、周りに聞いてる人がいないかとドキドキしてしまう。「宮田さんは、香西さんを慕ってて……尊敬しているみたいですから」 「僕も彼は好きだよ。でも、そっちの気は一切ないから安心して?」 思わず例の“ゲイ疑惑”を思い出して、噴出して笑ってしまった。 本当はゲイではなく……兄と弟みたいに仲が良い関係で微笑ましい。「そういえば宮田くん、最近なにかあった?」 「え?」「今日会ったらすごく楽しそうでイキイキしてるし。彼のデザイン画を何枚か見てほしいって頼まれたんだけど……めちゃくちゃパワーアップしてたからさ」 顎をさすりながら、香西さんがうれしそうにそう言う。 だけど、私にその理由を聞かれてもわかるはずもなく、首をかしげて話の続きを待った。「前から彼の才能は認めてるというか、感服するものがあったけど。今日ほど彼の才能を素晴らしいって思ったことはなかった」 「……」 「朝日奈さんが影響してるのかな?」 「え?!」 私はなにもしていない。本当ならもっと、依頼したブライダルドレスの為になにかしてサポートしなければいけないくらいなのに。「今日確信したよ。最上梨子はもっともっとすごいデザイナーになるって」 「……」 「朝日奈さんが彼の傍にいてくれればね」 俺もウカウカしてられない、って香西さんが冗談めかして笑った。 香西さんから「宮田くんはあの辺りにいるはずだから」と教えられた方角へと足を向けた。 人がたくさん居て、ざわざわとしているエリアだ。 本来は仕事をしている人たちの邪魔になるから、あまり立ち入ってはいけない場所だと思う。 キョロキョロと視線を彷徨わせて彼の姿を探